2019/01/24 23:28

今は卒業を迎えるまでの蛹みたいな時間、ただただじっと薄暗い部屋の中でパソコンの画面を見つめるかギターを握りしめ時間が経過するのを待つ。なんとも見苦しいがこの時を有益なものにしたいと思って自分にとって意味ある時間を過ごそうとしている。

窓の外を見渡すと同じ年代の人たちは就活や勉強、遊びに恋愛やらでせっせと毎日を過ごしているようだ。希望の会社に受かったとか恋人に振られた、卒論に追われているだとか、皆それぞれ日々着々と変化し将来へと歩んで行く。色々あるだろうけど喜びや悲しみを感じ生きて行く時間の濃度はきっと濃いもの。

 

 

実家暮らし、就職先未定、恋人なし。

 

なんて情報を文字にし淡々と並べると不思議と寂しさが浮かぶ。まるで真っ白な半紙に細筆で小さく書いたような味がでる。この条件に当てはまるのは紛れもない私である。日々を襲うのは虚無感。就活にはまるで興味が湧かず、毎日生きていることを肯定してくれるものを探し続けている。どうやらこの条件に当てはまらないからなのでしょう。

しかし現実問題私は社会の中に配属された1人の人間であるのは間違いない。それ以上、その役目を果たし賃金をもらう。”生きることを肯定してるものじゃないと無理だ”とか呑気なことは言っていられないのだ。

 

この理想と現実の狭間を日々行き来し小さな箱の中で拮抗しているのが私の世界。

2つの衝突で砕けた破片はり焦り、虚無、孤独となり山になり積もってゆく。

今日も掃除をするように私はパソコンとギターを手に取る。

絵を描き空想をし、不器用な手で音を奏でる。

作品は閉塞感の中でめでたくこの世に生まれ堕ちるのが常。